深刻な失業率2

2ということで、前回の続きです。
何書いたっけ?
就業意欲喪失効果と追加的労働力効果については、触れたかな。

失業とは、労働需要と労働供給のミスマッチによるもの。
しかし、均衡点においてさえ、失業率は存在する。

と、同時に欠員率もそこそこ存在する。
いわゆるUV曲線を同時に見る必要もある。

失業と欠員の両者の存在。

失業は前回書いたように、月末1週間に仕事を探していて見つからなかった人。
詳細は、総務省統計局「労働力調査」での定義を参照のこと。

欠員は、企業が労働需要しているのに、人が集まっていない状況をさす。
個別企業単位で、需要に供給が合っていない状況を指します。

ここで用いる需要と供給は総需要と総供給なので、
個別企業単位の需給ミスマッチ(欠員)の総数と思っていただければ。

この欠員率をどう図るのだったかな…と、何を用いて、UV曲線を作成しているのだったかすっかり忘れてしまったので、そこについては、JILPTの統計刊行物あたりか、労経白書あたりにでも載っているかな。


図は、縦軸に失業率、横軸に欠員率。原点から45度線を引くと、失業率=欠員率が出来上がる。
45度線上は、失業も欠員も同時に存在していることから、労働者の移動によって解決しようと思えば、解決できるもの。


で、深刻な失業率とは、この欠員率が低い状態でなければ、失業率の高さが深刻だと決めつけることができない。欠員率が高いということは、少なくとも総需要と総供給からみれば、需要不足失業ではない。労働者の移動によって解決できる「構造的・摩擦的失業」にあたる。

需要不足失業とは、労働需要が不足することによって生じる、労働供給過剰状態による失業。職にあぶれた人がいる状況。
構造的・摩擦的失業とは、人が移動する間に生じる失業のことを摩擦的失業。
構造的失業は、なんだっけ? 労働者の労働供給先が望むものでないために生じるミスマッチというものかな。

無論、職業選択の自由があるから、いやいやながらも職業を選ばなくたって、生活できるものなら、すればいいと思う。そこは、強制である必要はない。また、欠員が生じる理由も考えねばならないし。
欠員が生じる理由には、いわゆる3Kが考えられるかもしれない。
きつい・きたない・くさいだっけ?

そのような産業の仕事に就きたくないから、そのような産業では欠員が生じうる。
だけど、労働者がそこへ移動しない限りには、深刻であっても深刻には受け止められない見方が形成されてしまう。

そのような産業には、賃金上乗せがみられれば、人が集まるかもしれない。
許容できる範囲を賃金に上乗せすることで、その仕事の苦痛さを補償させる。

そうすれば、欠員が多少は緩和されるものかもしれない。失業率も下がり始めていくかもしれない。


しかし、深刻な失業である需要不足失業にはどう対処するのか?

仕事の分かち合いといわれる、ワーク・シェアリング、ジョブ・シェアリングが考えられる。
しかし、これって、人1人雇うときのコストと生産性、および分かち合う後の生産性とコストが前者を上回らなければ達成することは難しい。

もしくは、労働市場の賃金を下げて、総費用を一定のまま多くの労働供給をより確保するのか。

失業率だけを下げるならば、いずれにせよ飲み込まなければならないもの。
あるいは、「誰かが」仕事を作り出す。

誰が? といわれると、大概が「政府」の公共事業といわれる。
穴掘って埋めるだけでも、仕事が作り出され、お金が回りだせば、それだけでも効果は期待できる。
たとえ、無駄でも。無駄でも。無駄でもです。
その借金を超えるだけの効果を生み出すものとして、投下されるのです。一応。

それはさておいといて、
でも、社会的な厚生を高めるには、賃金を下げて供給を確保するのが、より望ましいものであるにもかかわらず、それができない。
企業の中にそれを阻むものがいるから。既存の雇用者たちは自分たちの効用を下げなければならなくなる。
他人のために効用を下げられるのか、そこが問題。


これまでの経験則からすれば、それはあり得ないに近い。
ワークシェアリングは議論されてても、
結局いつの間にか、景気が上向きだして置き去りにされている。

2002年、2003年のときもそう。
さすがに昨年は若干話が進んだ気がしますが。


結局は、パイをいかに奪い合うかにしかならない。
需要不足失業が発生しているときには。

誰かがどこかで無駄でもいいから、お金をつかって回らせてくれないと。
まぁ、無駄でなくて次につながるような投資であってほしいのだけれど。でも、次につながるとはだれが判断できる? というのも考えもので。結果論でしか評価できない。その時は最善と思っていたとしても、予想範囲外に終われば、「ほれ、見たことか」と騒ぎ出す。


需要不足失業が生じたときには、財政政策でどうにかするしかないけれど、
どうにかなるものなのか???



さて、今朝(2/1)の日経で、労働者の定着率が上がって、失業者は余計に困るみたいな記事がありました。
上記の摩擦的失業が生じにくいからですが、
椅子取りゲームで省かれちゃった人は、大変よというもの。

椅子を抱えて離さなくなっちゃったから。
というより、日経がこれ書いてどうするよ。
企業の見方だろう? 日経が書くものって。
企業としては、人材募集コストが下がって万々歳じゃないか。
定着されて迷惑っていうものなのか?


といっても、失業率が下がっても上がっても、
企業収益に結びつかない限りには、解決しようもないというか。

早く景気回復してほしいものですね。とりあえず。

と、すげぇ無駄に話を回してたら長くなった。
眠いので、ここらで。


というより、なんでこれ書こうと思ったんだろう?
確かに日経の記事見て、あぁ、それって悪いこと? って思ったのはあるけど。

うーん。よく覚えてない。