教育費用と機会費用


雑記にしようかどうか悩んだのですが、一応カテゴリを分けることとする。

さて、教育費用と機会費用

教育費用とは、人に対する投資とみなしていいのかな。それにかかる費用。教育を行うならば、少なくとも教育にかける費用以上に収益を得られると見込むことが、投資するインセンティブになる。
機会費用とは、そのときにほかのことをしていたときに得られたであろう収益といえばいいのか。


今回は、企業における人的投資を想定しているので、学校教育とは違う話。


この教育費用をだれが負担するのかというと、教育を受ける本人か企業、あるいはその両者。

教育を行わない場合には、生産性は一定と仮定する。
教育を行う場合には、教育期間中は生産性が落ちるものの、教育後に生産性があがるものと考える。

実際には、教育しない状態でも生産性は一定ではないし、教育後に急激に生産性が改善されるものとは限らないけれど、そこは考えないようにする。


で、新人さんが配置されたとして、教育を行わなければならない。
指示どおりに仕事をしてもらえれば、毎回一定の収益を上げてくれる。しかし、毎回指示しなければならないというコストがかかる。つまり、指示のために時間を割くことで、その分の生産性が落ちるために収益が落ちるというもの。
この教育をどうするか。教育するのか、それともしないのか。
たとえば、短期だけの雇用契約であれば教育をして費用回収までに時間がわずかとなれば、
毎回指示したほうが効率がいいかもしれない。
ただし、一定以上の雇用契約が見込まれれば、教育したほうが効率がいいかもしれない。

毎回毎回指示するというのは、結構なコストになる。なぜなら、仕事上のジャッジをことあるごとに止めなければならない可能性が生ずる。
さらに、その労働者たちの仕事が容易であればモニタリングすることも容易かもしれない。そうなれば、低賃金で雇用し、わざわざ教育をすることもなく、サボっていないかどうかチェックして、サボったやつの代替はいつでもできるようにする。
そういう仕組みにすることと、教育をして生産性を時間かけてでもあげて自分の仕事をゆくゆく減らしていくことのどちらが効果があるだろうか。

教育をしないこととは、毎回費用を支払うということとみなすこともできようか。
教育をすることは、先に費用を支払うもの。あとでその分を回収する。

ただ、短期か長期かなんてものは、労働者の本人次第であって、さらに仕事を簡単に辞めるかもしれない。そのような場合には、費用を回収できなくなる可能性が生ずる。

なんて書いていると、どうどう巡りになる。

短期でも教育費用は支払うべきではないかと考える。
それは、教育する費用そのものが小さくなる可能性があるからだ。
投資したものを十分に回収できるかもしれないし、
次にかかる費用も少なくなるからだ。
それによって効率性が上がるし、教育をしない状態が長期的な続く場合にはつねに損失を作り出すことにもなりうる。

と、書いたところで、書こうとしていたものとずいぶんと方向が違ってきたので、一度はなしをとめることとする。

だって、眠いんだもの。


機会費用を教える側の費用として持ち出そうとしたけれど、まぁそれはまた今度ということで。

ぐだぐだだなぁ。というより、一貫性がない。