給与は職能給か職務給か

ちなみに私の勤めているところは、どちらだろうか。
一律なので、職能給でも上がらない仕組みといえばいいのか、
みんな大した仕事なんてしない雇用区分だから、大した仕事でないという十把一絡で職務給かもしれない。

「能力もってなくてもできるよ」「あなたはこのしごとだけしてくれればいいから」
というものなのか、
それとも、
「あなたたちの仕事は周辺業務なんだから、みんな一律この額でいいでしょう」
というものなのか。

まぁ、上昇する見込みがないシステムにいるので、
どっちでもないような気もしますけど。

私は上記のようなシステムに組み込まれているわけではありませんから、判別は難しいですね。

ところで、職能給と職務給。これについて。

この職能給は能力があると見なされて支払われる給与体系。
無論、能力があることを前提としたもので、
実際にその能力をはかることは難しいから、「みなされて」と付くのが正しいでしょうか。
勤続年数が増えれば、その仕事にかかわる情報を取得して、熟練技能が身に付いているだろうということから、勤続年数が増えることによって仕事の生産性が高まっていると思われるので、賃金が上がるという見方。


職務給は、その仕事に対して支払われる給与といえばいいのか。
仕事の生産性というよりは、その職務に対して支払われる、すなわち仕事で決まる。

まぁ、どっちが先かというものなのですが、
昔々、職能給から職務給に切り替えたら失敗に終わったというような。
失敗というか、定着しなかった。
それから数十年(十数年?)、「成果主義」がやってきた。

言葉は、昔使われた「職務給」のようなものですが。
もともと、どの企業でも一律で職能給ではないし、
職務給もあったし、人事考課で「成果」が反映されて査定されていたので、
「何をいまさら」みたいなところがあるものの、

それが、流行りだすという。
富士通でしたか。流行りを取り入れて失敗に終わったというような。

どう失敗に終わったのかは記憶があまりにも曖昧すぎるため、書く気はおきない。
なので、

高橋伸夫虚妄の成果主義
を手に取ってもらえれば、わかるような気がします。


さてさて、「成果主義」は定着したのでしょうか?
やはり、何をいまさら…というように一蹴された気もしますが、

従来より、その成果部分の範囲が増えたということは言えるのでしょうか。


さて、賃金の決め方の話なのですが、
これに「年功序列」というのが、よく一緒に述べられることが多い気もします。

年功序列は賃金の上がり方を示すものであって、
賃金を決めるものではない。

むしろ、年齢や勤続が上がれば(増えれば)、それだけ仕事に対する情報を蓄積し、
目に見える生産性が高まるだけではないので、それらを合わせて生産性が高まっているので、賃金が高くなっているということを、一時点だけでない見方をするから、年功序列という。

ほかの見方をすれば、
ラジアーのシャーク仮説も考えられるけれど、
私は人的資本理論の方が説明はしっくりくると感じます。
合わせて、小池和男の熟練仮説も。支持する方かな。



ところで、
経営学だと「賃金率」とは使わない?

確かに、見た記憶はない。
私は経営学部出身でもないし、
経営学」を学んだことはないから、
たまたま見たことがないだけかもしれない。

というより、経済学だと1単位当たりという見方をするから、
賃金率を用いるけれど、
経営学は1単位あたりの…というものはするのだろうか。