公設派遣村にいたのは失業者なのか?

そのような疑問も浮かびます。
無論、「普通の失業者」もいると思います。
むしろ、普通の失業者の方が多いのでしょう。

でも、その中にはたかりもいたのでは?
という疑問があるのです。

無論、失業者が労働へのインセンティブを持ったまま、
どうしようもなくなってやってきたというのが、
この公設派遣村が対象とするものでしょう。

でも、その中には、行政と失業者の間に情報の非対称性が起こりうるものであるから、
労働へのインセンティブなんてものを本来持たなくとも、
持ったふりして入り込むような輩もいる可能性がある。

支給されたお金が、嗜好品のために使ってしまったというような者が1人でもいれば、
「そんな無駄な金はどこにある」という声が発生することも考えられる。
これが、国から支給されるから問題なのか。
国からということは、税金が投入されている可能性がある。もしかしたら、何かしらの利益から生み出したかもしれないが、もとは税金(国債でもなんでもいいけど)であると考えられるので、それは税金として扱うことにしておこう。

で、これが募金・寄付金で集められたお金だったらどうか?
たとえば、NPOが公設派遣村に集まった失業者のために募金を募る。
NPO活動は収支報告書を出さなければならないし、NPOの活動を応援するための寄付を行う者のために報告書を作成している。それが月報などで、「私たちはこういう活動をしています」というアピールにもなり、活動を続けていくためには、自分たちで稼ぐ以外の手法では寄付金、補助金、委託事業(直接の事業収入とは別物とする)などで成り立つ。
しかし、この活動に対しては、寄付金というのが筋が通るものでしょう。

では、寄付金だったらどうなのか?
国の税金とは違い、「その活動のために“自ら”出したお金が、次の仕事を探すために役立ててほしいという思いを殺して、嗜好品に使われた」という解釈ができる。
寄付する必要なんかないじゃん。楽しむためにお金を出したわけじゃない。という、マイナスの見方が形成されるか、あるいは、あー人間だもんね。少しは楽しむお金があってもいいんじゃない。なんて、都合のいい解釈をしてくれるのか。

結局、どこから出ていようと、不平不満が高まる。
貰った方も、どこから出たものかわからないから、そのような行動に走るのか。
いや、どこから出ても同じ結果だったのか。
無論、その結果がわかるわけもない。お金に色を付けなければね。

そんな活動にお金を出すのは「無駄」と思われちゃうから、
貰った人は、それなりに社会貢献(働いて納税をするとかでも)するなりしてくださいな、と。



税金投入ですら、ぶーぶー文句言われるくらいなのに、
寄付金とかだったら、援助する者たちを遠ざけ、もう援助する気なんて起きなくさせる。
万一再び同じように困った状態になっても、助けてくれるものがお存在しなくなって、今の自分たちが将来の自分たちを落としていく。
なんのためのNPO活動なのか、と問われるし、活動する者も活動するためのインセンティブをなくすようになるのではないか。


ここに来た人は、
働くためのつなぎとしてきたのか、
それとも「失業者」になりたくてやってきた非労働力なのか、
それとも「失業者」を演じて生活保護を申請する、もとより労働へのインセンティブなんてものは持ち合わせていない者がやってきたのか。それすらもわからない。
行政と失業者(とは限らないけれど)の間に、特に失業者の情報が行政に不足しているから起こりうる問題。

どうにかしなきゃいけないと思いつつも、
上手に選別ができないことが問題と認識しつつも、
選別したところで、結局同じことの繰り返しにならないように、全体を底上げしていかなければ、いつまでたっても解決されようもない。

これは、行政の問題だけではなく、
人間の行動そのものにも問題がある。

「労働」へのインセンティブを高められるような施策、
そこがない限り、変わらないような気がしますね。