小池批判

よく、小池和男先生批判を見かけるのは、何故なんでしょうね。
そりゃ、この先生の功績は大きいから、それに対して批判が生ずるのも理解できるのですが、

小池和男先生への批判といえば、熟練仮説でしょうか。
それとも、仕事表か?

何ができるのか、
その職場内での仕事を順に積んでいくというもの、といえばいいのでしょうか。

多段階に渡って仕事を覚えて、
その職場でのスキルが形成されるというもの。

事務を例にしていえば、

電話にでられます、
パソコンで文章作れます、
エクセルで表計算できます、

というようなものなのか?
もっと細分化しているような気もしたけれど、

要は、このレベルの人はこれだけできますよというものを示すもの。

ファストフードで、自分の経験からいえば、
通ずるものがあります。仕事がマニュアル化されているからね。

一人前になるには、1つの仕事を覚えてそれに類似する仕事を与えられて、
だんだん仕事の範囲を広げていくもの、という考え方。
それによって、人的資本が蓄積されるという。

色々と織り交ぜながら作られたものだということだと思いますが、
熟練仮説ねぇ…。

うーん。どちらもまともに知らないんだよなぁ。
小池先生の本も批判本も。

批判している先生がホームページを開いていたので、それをちらっと見たときは、
某車メーカーの「仕事表の存在」についてで、
それは存在するのかというものだけれども、その提示がないというような批判だったかなぁ…。
要は、それはデマじゃないのか、というね。



と、なんでこれを書いているかというと、
ふと眼先に「仕事の経済学」があったので。

「仕事の経済学」は読んだけれど。

仕事の経済学

仕事の経済学

でも、すーっと入ってきて、すーっと抜けちゃったからなぁ。
たぶん、わかったつもりになっているから、
読んだという記憶はあるけれど、何が書いてあったのかは記憶に残らない。
残ったのは、仕事表くらいかなぁ。でも、それすらもうろ覚え。
そんなものですかね。記憶なんて。