年越し派遣村

どうしても、政治的要因が大きすぎる気がしてならない。
今年もできるのではないか、という話がある。

これって、
もやいの人が煽ったことと、民主が煽ったこと、マスコミが煽ったこと、
これが本当のところでしょう?

守らなきゃいけない!
という弱者をうまく見せつけることで、
当時の政権にダメージを与えている。上手だと思いますね。で、もやいの人が政権に入った。
ま、これじゃいけないという思いからなのでしょうが、
雇用ってそもそも生産のための要素であって、
生産できないなら、雇用が生まれるわけがない。
だったら、自己雇用というかたちの自営業で労働供給から労働需要を作り出す側になるしかない。
ま、行うは難しですが。


だって、今年よりも去年のほうが有効求人倍率が高いよね。

当時は雇用契約期間が満了するという話であったけれども、
3月4月の方が契約満了期間が普通は多いでしょう。まぁ、普通じゃないから、これだけ問題になるのでしょうが。

今年の方が求人倍率が低いのに、何故今年は回避できるのでしょう?
1つは、新しい職に就いた人がいて、とりあえず今年12月末に切れるわけではないから。
1つは、失業者になって失業保険によって数カ月はどうにかできそうだから。
1つは、非労働力人口になって、誰かに養ってもらうことでどうにかできているから。
1つは、上と同様だけどあえて書くなら、生活保護によって今は生活できているから。

どれでしょうね?
どれでもなく、ほかの答えもあるか。

求人倍率って、求職者に対する求人の割合でしょうに、1を超えれば、求職者1人に対して1つ以上、1以下はそれよりも就きにくくなるというものですし。

現政権が何かした結果というのは、ワンストップ型にしたくらいしかイメージがない。
いや、知らないことも十分に多いですよ。でも、そのほかに何したの?
で、何したら、今年は派遣村が生まれなくなったの?

去年、派遣村が生まれて、複数の求人を持って行ったけれども、食いつかなかったという事実もあります。
無論、それがとんでもない求人だったのか、知りませんが。
なんで、求人に食いつかずに、国におんぶしてもらうような策をとるのか。


労働者保護は十分に必要な話だけれども、
労働者に教育訓練をすればなんでもうまくいくような物の言い方はどうかと思います。

教育訓練をするのって誰よ?
国がやった教育訓練で、誰が雇用するの?
その教育訓練効果は企業にとって有効なのか?

ここを再検証しない限りにおいて、意味をなさないでしょうね。
教育訓練は必要なものだけれども、
一般訓練のようにどこでも通じる能力であるならば、
国が行った教育訓練を受けた者というレッテルをはられることにならないか。
それはそれで、「ものすごく使えるいい人材」というレッテルならいいけれども、

国の教育訓練を受けざるを得なかったという、
それまでの経歴と突き合わせてみたら、
実際にはその情報が正しいとは思わないけれど、
瞬時に「使えない人材」だったと思われてしまうようなレッテルにならないのか?
これがシグナルになってしまうことが怖くなる。
「どこでも通ずる教育訓練」を提唱するのは、もちろんわかるけれども、
教育訓練しないといけないほど、その人たちって生産性が低いのだろうか?
イメージされる教育訓練ってのは、機械の使い方とかなのかな〜?
たぶん自分が持つイメージと異なるのだろうな〜。

そもそも、年越し派遣村の失業は、
ミスマッチによって生まれた失業なのか。
それとも、需要不足による失業なのか。

ここがはっきりしない。
だって、求人蹴ったら、需要不足じゃない…よね?
ミスマッチだよね? ミスマッチっていうことは、自己都合?
自発的失業?
自発的失業のために、わざわざ国が面倒みなきゃいけないのか?

なんだか、いまいちはっきりしないんだよなぁ。