喧嘩しようよ価値観をぶつけ合って


ZARD『星のかがやきよ』の歌詞の一節に、「喧嘩しようよ価値観をぶつけ合って」とある。
前から気になっていた一節。
ちょっと、己を振り替える機会を得たので、その言葉が頭の片隅にあったから、そこを出発点としよう。


自分の価値観、他人の価値観。
自分のカベばかり形成する私には、人の価値観をわかったつもりで、「受け入れたふりをする癖」がついている。確実に。
いつからか、カベを作ることに腐心していたし、壁を越される前に「拒否」を示す。
他人を受け入れる余地なんてものを作れない。だから、上辺だけの付き合いならいくらでも。
でも、本音の付き合いは難しい。
なぜそうなったのかというと、自分を守るため。距離なんてものを考えなかった昔の自分が、距離を作るための手段だったのかもしれない。でも、そうして、自分のなかにベクトルを向けていないと自分が辛かったし、そうすることしか浮かばなかった。その延長が今だ。

素の自分を出せなくしたのは、なによりも自分であるのは理解している。さて、いまさらそれをどう崩すか、が課題でもある。

「自己開示」が嫌なくせに、どこかで「自己開示」をしたがっている。
それは昔からで、受け入れてほしいと思う割りには、いざ受け入れられる場面が近づくと逃げたくなる。というのは、シャイだからか?
そんな一言で片付くようなものなら、たぶん苦労していないな。


さぁ、自分が作るカベをどう取り払うか、考えていかなくちゃな…。