時間について考えてみる


否定から始まるのはどうかと思うのですが、
口癖というか、書き癖?

「いや、」という始まりをしようとおもったのですが、
話し言葉で書いているから、
こういう否定的な言葉が出てくるのでしょう。

さて、表題。
「時間について考えてみる」

その終わりをさす「死」。
生命体の活動が終わること。

死ぬことは、どういうこと?

存在が消えるわけではなく、
ただ、生きることが止まる、「今」という時間から取り残される、というのか。


未来を生きられない、というものなのか。

生きられないイコール死であるのか。
うーん。なんかうまく結び付かないな。

生きられないという言葉が変なのか。
生きることができない、まだしっくりこないな。

その生命の時間が止まって、

他人の中では、その時間までを生きたという事実が残る。
うん、ピントが合わないな。


来世云々というような話ではなく。
だって、人は「今」しか生きられないでしょう?

未来を生きるというのは、今のつながりがあって成り立つもので、
いきなりでてくるものではない。

時間の概念をどう入れるか。
「未来を生きる」というのは、「今」という瞬間が連続した先にできる「今」であって、
「今」の延長線上でしかない。

もちろん、選択肢というか、行動というか、誰それの影響を受けることは間違いないし、
その影響について、回りまわってくることそのものすべてを知ることなんてことはできない。

それは、ほんのごくわずかな一瞬のことでさえも。
もちろん、自分の意思決定というものはある。
だけれど、その意思決定に連なるものは、「ふと浮かんだもの」もあるけれども、そこに行きつくには、背景があるのであって、必ずしも「ふと浮かんだ」ものではないかもしれない。たとえがわるいな。ま、いい。

でも、他のすべてを仮定して、何も影響を与えないものととらえるならば、「ふと浮かんだもの」はその仮定において、「ふと浮かんだ」ということは、何に影響もうけていないといえる。

うん、書いてて変だと思う。

「時間」とは、どういうものなのか。
「死」とは。
あなたの「今」が終わること。

あなたの「今」が、他人にとっての、あなたが生きるという「今」が止まること。
あなたが生きていたになること。

そのあとのことは、誰も知らない。
宗教にでも入っていれば、何か示すものがあるだろうけれど。


あなたの「今」とは何か?
一瞬一瞬のあなたという存在の連なりを、切り取ったもの。

死とは、それが止まること?


なんだか、人の一生を積分を示しているようだな。
「今」が微分か。


書いてて、むちゃくちゃだな。


っていうか、へん。